ミス・ワールド機構
ミス・ワールドは、世界3大ミスコンテストの中でも最も歴史が長く、1951年にイギリス・ロンドンで第一回大会が行われて以来、毎年開催されているミスコンテストです。 そのミス・ワールドを開催するミス・ワールド機構(Miss World Organization)(本拠地:イギリス)は1951年の創設以来、2億5,000万ポンド以上を子供たちへの寄付にあててきました。そして、ミス・ワールド予選を行うフランチャイズ組織を世界140カ国で認定しています。
ミス・ワールドでは、Beauty with a purpose(目的のある美)をスローガンに、世界中のミス・ワールド出身者が、美に集まる力を社会貢献に活かすことを目的として、積極的な慈善活動及び各国の課題解決に取り組んでおります。
こちらでは沖縄での活動の一部をご覧いただけます。(敬称略)
国連が定める「国際ヨガの日」を記念して毎年6月21日前後は世界各地でヨガが行われます。
ミス・ワールド・ジャパン沖縄は、南城市、駐日インド大使館、全日本ヨガ連盟の後援のもと、南城市玉城の「グスクロード公園」にて行われたヨガデーチャリチーイベントに、ミス・ワールド・ジャパン2022沖縄代表の岸本とミス・ワールド・ジャパン2024沖縄代表の藤川が参加いたしました。
ヨガの講師は株式会社ラニラの代表、玉城梓氏にお願いしました。
ミス・ワールド・ジャパン2024沖縄代表の藤川が立ち上げた地域交流団体connectが主催したイベント。
南城市百名ビーチにて朝日を見ながらの朝ヨガ、ビーチクリーン、乗馬体験、田圃体験を、地元の方や移住してきた方、沖縄に旅行中の方など、様々な背景の皆様と一緒に行いました。
沖縄発祥の歴史ある武道である琉球空手を学ぶべく、ミス・ワールド・ジャパン2022沖縄代表の岸本とミス・ワールド・ジャパン2024沖縄ファイナリストの田村が世界硬式空手道連盟の久高正光氏にご指導をいただき、武士道の真善美を学んでまいりました。
江戸時代に生まれた沖縄の芭蕉紙。明治時代に一度途絶えましたが、重要無形技能保持者の安倍栄四郎が琉球紙再興をはかり、弟子の勝公彦が復興させました。
現在も日々、貴重な芭蕉紙を手漉きで作り続けている手漉琉球紙工房 蕉紙菴にミス・ワールド・ジャパン2024沖縄代表の藤川が伺い、代表の安慶名清氏より芭蕉紙の歴史を学んでまいりました。
2024年代表の藤川が「Beauty with a purpose=目的のある美」を深く追求する為
沖縄の歴史や文化そして現在の社会を、沖縄大学社会学教授である宮城能彦氏より学ばせていただきました。
日本大会BWP審査の様子もあわせてご覧ください。
⇒藤川のBWP審査映像
日本代表選考の特技審査上位入賞者として、日本大会のステージで選抜メンバーによるタレントショーで歌を披露し、大会を大いに盛り上げました。
ミス・ワールドは、世界3大ミスコンテストの中でも最も歴史が長く、1951年にイギリス・ロンドンで第一回大会が行われて以来、毎年開催されているミスコンテストです。 そのミス・ワールドを開催するミス・ワールド機構(Miss World Organization)(本拠地:イギリス)は1951年の創設以来、2億5,000万ポンド以上を子供たちへの寄付にあててきました。そして、ミス・ワールド予選を行うフランチャイズ組織を世界140カ国で認定しています。
1951年、ビンゴ・ホールの経営者であったエリック・モーリー氏が「Festival Bikini Contest」という名のイベントを企画したのがミス・ワールドの始まりです。これは、そのころ広まりつつあったビキニを着た女性の美人コンテストであり、イギリスのみならず各国から参加者を集めたもので、スウェーデンの女性が優勝しました。 このイベントを新聞などが好奇心たっぷりに「ミス・ワールド」の名で報じたのが、この名の誕生の由来です。モーリー氏は、一度限り・単発のイベントとしてビキニコンテストを開催しましたが、この影響で、翌年からミス・ユニバースが始まったほか、後年のミス・インターナショナル、ミス・アースといった世界のミスコンテストが行われるようになりました。 以来毎年開催され、ミス・ワールドが誕生しています。
ミス・ワールド機構は貧困支援などの寄付、慈善活動を積極的に実施しています。国際貢献・女性の尊厳・地位向上を理念に掲げ、これまでに国際的NGO・NPOと連携し、2億5,000万ポンド(約400億円)を恵まれない子どもたちの寄与にあててきました。最近では2013年3月に、500,000ドル(約4700万円)をハイチの子どもたちの医療費などへ寄付しています。
ミス・ワールドのスローガンは「目的のある美」。美貌のほかに知性や個性も選考の基準です。 約1ヶ月の世界大会期間中、候補者はさまざまなトライアルを通して美を競い、ファイナリストの中から最終日にNO.1が決定します。 創設者エリック・モーリー氏の妻ジュリアの指揮した2001年大会はナイジェリア人が優勝し初のアフリカからのミス・ワールドが誕生したほか、視聴者が電話やネットで投票に参加するなど常に新しいことに取り組んでいます。 1990年代に入りテレビ中継される国は延べ200カ国以上におよび、視聴者は20億人に達しています。
Miss World Japan OKINAWA